最近はネットが普及してきてゲームもオンライン対戦が充実してきました。
大昔はゲームセンターやイベントが対戦や交流の場でしたが、今では自宅にいながらでも対戦や交流ができるようになりました。
しかし顔が見えない状態での交流が増えたり、情報交換(会話)を拒否ができたりする影響で今と昔で社交スタイルに違いがあるかななんて思います。
今回はこのよく見えない社交スタイル。そう、ゲームにおけるマナーについて書いていきます。具体案を出すわけではありませんが、価値観や考え方についてまとめますので一つの答えとして参考になればと思います。

そして最初に明言しておきたいことがあります。この文章はマナー違反だと相手を責める行為はかなり難しく適切な対応ではないというスタンスで書いています。

今と昔では状況が違う。

もうまず大前提ですよね。対戦している相手、そう他の人間がいるという事実は変わりません。しかしゲーセンとオンラインでは顔を合わせるかどうかという状況はかなり違います。そしてそれ以上に「空間の広さ」が段違いに違います。

昔はゲーセンなり友達の家なりと「場所やメンバーが限定的」になります。しかし今では北海道と沖縄のプレイヤーが一緒に対戦できますし、一箇所に集まる必要もありません。「時間が合えば自由」に合流できます。この違いは「地域に順応する必要性」に大きな違いを生みます。比較するとオンライン上では無理に合わせるより合う人を探すことが容易にできます。極端なことを言うと、相手に嫌われるようなことをしてもプレイヤーは他にいますし、迷惑行為をしても「出入り禁止」なんて実質ありません。このあたりはマナー遵守派は諦める部分となるでしょう。

蛇足ですが、このあたりの価値観は平成前生まれ(昭和)と平成以後生まれで感覚が変わるラインを引けるかもしれません。
私個人の感覚ですが、ネットでみんなでゲームをするということが流行ったサイトの一つに「ハンゲーム」というサイトがあります。当時、ここのビリヤードのできが良くて毎晩のように利用していました。このハンゲームができたのが2000年のようで、平成元年生まれは当時11歳ぐらいです(私は18歳らしい)。つまり平成生まれが中高生になる頃はオンラインゲームがかなり盛り上がってくる時期になります。例えばラグナロクオンライン。wikiによると日本でのサービス開始は2002年。実際当時の中高生がしていたかは別として、やることが可能な状況は整っていたという背景があります。

ゲームに関する社交性やマナーはこのような環境の違いも考慮に入れるべきでしょう。老害だゆとりだ悟りだとお互いにつつきあうより、この違いを考慮しあい歩み寄れたらすれ違いも減ると信じています。

マナーって何?わかりにくいから問題を切り分けよう!

というわけでサクッと説明します。
マナーというものは、お互いが気持ちよく過ごせるようにと考えられた「規範とする行動」です。正直、宗教観や文化で大きく変わるので正解はありません。蕎麦やラーメンで音をたてるかたてないか。「価値観」の話です。

つまり結論から言うと「ゲームのマナーを考えたり議論するのは無駄」ということです。どういうことかと言うと、サッカーのプレイマナーを知らべていただければ感じていただけると思います。ノーマナー行為は基本的にファール。ルール違反になるのです。

それとは別に推奨されたりしている行為があったりします。これらはスポーツマンシップなどと言われます。これは別の言い方ではフェアプレイの精神です。

この流れをゲームに流用するなら「ゲームをする」「ゲームに参加する」のであればルールや仕様の範囲で何をしても構わないとなります。そういう意味で「議論する意味がない」といいました。話し合うとするなら「私はこうなんです」とお互いに意見交換し、落とし所を見つけるか別れるかでしょう。

さて、ざっと結論を書いたところで少し細かく見ましょう。マナーとだけみると少しナンセンスというかコンセプトがずれる気がするので少し広げます。

まずはこの画像をどうぞ。

はい、実はマナーには2段階あります。行儀と礼儀です。私が見かけるマナー議論はよくここの線引ができてなく余計にややこしくなっています。

まずは社会的なモラルがあります。犯罪行為や公序良俗に反することをしない。法治国家における決まりですね。法治国家でプレイするのですからごく当たり前のことです。どのルールに従うのか、それを選ぶ自由意志がモラルです。しかしこのモラル。宗教や国でかなり違います。牛または豚が許されてなかったり。よくわからないレベルで多種多様です。

一つの競技で、それらの違う文化やモラルにより差が出ないように競技自体で行動の制限や目的を定めたのがルール。このルールがあるからこそ様々な文化のプレイヤーが同じ競技に参加できるのです。オンラインゲームではここまでか必要な約束事でしょう。

ここからはマナーの説明になりますが「何をするかはその人の背景で変わる」ので目的や思いを説明します。第一のマナー、行儀。これは「次はないと思わせない」ように配慮する精神です。たとえばお店で騒ぎすぎて「出入り禁止になった」。これは次はないと思われたケースですね。つまりこの人とは関わり合いたくない、一緒にいたくないと思われないようにする気遣いです。しかしゲームに関しては「この人強すぎてつまらない」なんてこともあります。とある文化(例えばゴルフ)では手加減やハンデは美徳ですが、手加減は侮辱とする世界もあります。このあたりが人により変わるので完全なる答えはありません。

第2のマナー、礼儀。これは「次もしたいと思わせる」気遣いです。
例えば楽しい試合をする。ぶつかり合うような熱い試合をしてくれる。プレイやキャラを尊重してくれる。そういう気遣いです。シンプルに相手の自尊心や居場所を与える対応です。別に偉そうな話でなく、相手に敬意を払う。リスペクトするという話です。

マナーに関して気遣いといいました。
ゲームなのに気を使ったりするの面倒という意見が出てしまうのならそれは気を使いすぎているか、オンラインゲームに向いていません。お互いに気を使わないでいいというのは宝くじのような確率でしょう。運命の恋人を探すような行為です。そして運命の相手だとしても敬意を払わないで長続きする関係はさらにレアでしょう。部屋の掃除をしない、ゴミも出さないのに部屋が常にきれい。稼がないのに常に生活費がある。そんなことはありえません。どこかに負担がかかってます。同じように自分が何もしないのに気持ちいい空間というものはありません。お互いに少しの気遣いでより良い空間を作っているという認識は大事です。

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一つずつ掘り下げる

さて長くなってきたのでひとつずつしっかりまとめて行こうと思います。

第一の価値観、モラル

モラルとは法律で決まっているなどではなく、個人としてどう思うのか、どんな世界で育ってきたのかという部分です。倫理観や道徳というものになり生活や判断の基盤です。基本的に公序良俗に従う、法律を守るというスタイルになりますが、これはルールという「約束を守る」という倫理観でしょう。

モラルを他者に求めるというのもなかなかに難しく、従うルールは国や宗教でも大きく変わり個人差があります。別にヒンドゥー教だからと牛を食べても死にはしません。イスラム教の方が豚を食べても死にません。ただ彼らはそれら宗教のルールを自身のモラルとして採用している。それが彼らの道徳なので食べないという「勝手な縛りプレイ」なのです。よしあしではなく、それが公序良俗に反し犯罪につながるものでない限り尊重すべき人格要素でしょう。なので押し付けることはできません。

そしてこのモラルは次のルールを守るのかという話に繋がります。詳しくはルールで説明しますが、このモラルが大きくズレると「マナーが違う」と感じるどころか「人としてどうなの」ぐらい大きな印象を与えます。しかし、繰り返しますがこのモラルは個人が自分で許容した文化であり「個人の自由」です。相手を責めるよりかかわらないほうがお互い尊重できて幸せでしょう。モラルは言い換えれば「他者が提案したルールをどこまで受け入れるか」なのかもしれません。テロや犯罪も一つのモラルでしょう。必要があれば積極的に通報を。

このモラルに関しては女神転生のlawとchaosという2つの価値観が体感しやすいと思います。興味ある方は調べるかプレイしてみてはいかがでしょうか。

第二の価値観、ルール

さて一つ目はモラルでした。どれだけルールに従うか。自由意志ではなかろうかという話でした。
次はルールです。これはモラルだけでは個人差が大きくなるので代表が決めた基準です。帰属意識をもたらしたりもします。前の簡易まとめでは競技に絞りましたがじっさいは幅広く、宗教で食事制限や行動規範を統一化したり、法律でしてはいけないことを地域で定めています。ルールは同じ空間や仲間同士であらかじめ決まり事や共通の判断基準を作ることでトラブルを防いだりします。これが秩序です。スムーズな生活を作るシステムかもしれません。その集団がどういう状態を維持したいのか。それをまとめたものです。ルールが約束、行動ならモラルは目的や理由でしょう。

ルールに従えないのなら、その集団にいることはできません。もし従えないのなら自分で作るか快適な場所を探すしかないでしょう。なぜなら、そのルールに従う者同士がまとまったのが社会でありコミュニティだからです。

さてこのルール。実に様々な大きさがあります。原則として入れ子構造になっています。まず出てくるのは法令。活動する国の決まりに従うことになります。インターネットでは接続するサーバーがどの国にあるのか、そこに従うことになっています(2019年5月現在)。そこに条例などの県や州といったより限定された地域で決められているルールが加わります。ここまでは罰金などの明確なペナルティが公的に存在します。この次に管理者や権利者が定める規約などがあります。少しややこしいのですが利用者の立場になるほど下になります。例えばイベント運営者は場所を借りて利用しているので会場からすれば利用者です。つまり運営は会場の規約に従うことになります。万が一イベント参加者がこの会場規約に反した場合、最悪イベント運営者が規約違反(監督不行き届きや安全管理の不備)となり、会場を使えなくなります。利用者は運営にしっかり従いましょう。

やや脱線しましたがルールはこのように入れ子状になっています。そして管理者と利用者(関係者)の関係で成り立っており、より高位の管理者にしたがうことになります。

そしてゲームにはゲームのルールがあります。これも他のルール同様、上位のルールに従う必要があります。例えば大会レギュレーションです。カードゲームなら特別なカード(イベント配布物)を禁止していたり、格闘ゲームなら対戦に支障のあるバグを狙う行為やステージ制限があったりします。これら各イベントで決められたルールの範囲でゲームのシステムを使うことになります。ゲーム内の競技としてのルールはプログラムで出来なくなっていたりするのでチートで無ければ何をしても自由となります。逆に言うとゲーム単品で実現できないことはルール違反となります。次のマナーで触れますが、使用上できることは何をしても問題はありません。しかし、それにより他者にどう受け取られるかの責任は伴います。行動に伴う結果の責任があるのは当たり前でこの考え方がマナーとしていくつもの形として存在しています。

このゲームのルールなのですが、実はPSNの利用規約も含まれています。もちろんPCやXBOXなら関係ありません。それぞれの媒体でのルールがあります。いわゆるマウサー問題はこのあたりの規約に従うことになります。

もちろんこれらのルールを守る必要は必ずしもありません。しかしそれを定めた世界でルールを守らなければ罰則があり、出入り禁止などの追放もありえます。シンプルな話「そのグループや場所にいたいならルールを守ろう」ということになります。

ゲームも対戦し、勝敗が決まるのであれば競技です。公平に勝負するためにも定められたルールを守りましょう。

第三の価値観、次はないと思わせないためのマナー

平たく言えば嫌われないためのマナーです。ただ嫌われるのは感情論です。それだけでは足りません。運営者、企画者や中心人物(人を集めている人)に問題人物だと思わせないようにするということです。

これはかなりシンプルに解決できることが多く、まず余計なことはしない。そして相手の話を聞き従う。これだけです。もし従えないというのであればほかの集団を探しましょう。合わない集団でずっと自己主張を続けてもその場の空気を壊すだけでなく「誰もあなたの話に興味がない」てしょう。聞き流される可能性が高いので時間の無駄です。何よりもその「自己主張そのものが次はないと思わせる行為」です。すでにそこにいる方々は、そこに求めているものがあるのでそこにいます。新規で来たあなたを求めているわけではありません。自己主張より先にその集団を観察し、しっかり歩調を合わせていきましょう。

配信やオンラインイベントを企画している立場から言わせていただくと、大会やイベントの趣旨を理解し誰が主催なのか進行なのか誰、または何を盛り上げるのか考えましょう。自己主張が激しかったり声が大きかったりすると企画者の意図しない方向に進んだりします。そのイベントを求めてきたのに、迷惑行為で内容が変わってしまうととても残念なことになります。

ここまでお読みいただいたなら察しがつくと思います。この次はないと思わせないマナーのコツは「その場の人々が何を求めてそこにいるのか」それを読み取ることです。もしあなたを求めているのであればすでに知り合いであり、あなたのロビーや配信に遊びに来てくれるでしょう。つまり自己主張するなら自分で場を作るのが一番です。

ほとんどのプレイヤーは普通の対戦を望んでいます。特殊なプレイを野良メンバーに求めるというのはかなり難しいでしょう。特に格闘ゲームでは難しくなります。つまり通常の大会や対戦では勝ちに行くのが求められます。個人的な意見なのですか、勝つためならルールの範囲で何をしてもいいと思います。通信環境を意図的に操作するのはハードウェアチートに該当するのでもちろんダメですが、オンラインではわからないのでどうしようもないでしょう。なので安定した回線が好まれます。しかしそれ以外は手堅すぎる「サムイ試合」でもいいでしょう。そこに文句を言われる筋合いはありません。一生懸命に大真面目にしているなら下手でもずるくても問題ない。それが私の意見です。

これは私がネットは現実の延長線上としているからなのかもしれませんが、ロビーなど試合が始まる前の集合場所。試合中もそうなのですが、このロビーは不特定の人が集まる「公共の場」です。ほとんどの環境で公共の場で騒ぐのを良しとすることはないのではないでしょうか。そこにモノも人もいないので意識しないことも多いと思いますが、確実に他者のいる共有している空間です。このあたりの感覚は人それぞれかもしれませんが、現実世界ではどんな状況か置き換えるのもいいと思います。

第四の価値観、次もしたいと思われる行為

これはお互いに敬意を払ったり、フェアプレイの精神などが該当します。熱い試合だったりぎりぎりのやり取りだったりゲーム技術が近いなどいろいろあります。

言い換えればスポーツマンシップとも言えます。このあたり、e-sportsという言葉が流行っているからあわせているわけではありません。ゲームは勝敗がある限り競技です。競技というと運動を想像する方もいると思いますが、競技かるたやオセロなども競技です。技術を競い合い勝敗があればそれは競技です。それにどんな気持ちで向き合うかは個人の自由ですが競技という事実は変わりません。なのでラフなプレイだとしてもスポーツマンシップにくくられる公正なプレイ、相手に敬意を示す、同じゲームのプレイヤーとしての仲間意識。こういったものが好まれるでしょう。

他にも波長や価値観などもあり、盛り上げ方やパフォーマンスの好みが似ているかというのもかなり大事です。しかしこのあたりは完全に付加価値です。

この次もしたいと思わせる行為は本当にたくさんあり、その場の空気もかなり影響します。しかしそれらの多くは仲間意識やライバル意識、迎え入れられているという実感で構成されているのではないでしょうか。

最後に

具体的に何がマナーというよりも、それらによって何を求めているのかに焦点を合わせました。これはマナーがとても流動的で場所によって答えが変わってしまうからです。それよりもマーケティングの要領でなぜ必要なのか、どんなものが求められているのか。そこから答えを導き出せれば落ち着くと判断したからです。

マナーやモラルはそれぞれの背景に大きな影響を受けます。相手の行為をノーマナーと諭す行為は、自身の文化を相手に強要していることにもなります。運営や企画者という立場であれば規約として、個人としては好みの問題として相手に伝えるのが妥当ではないかと考えます。文化や背景が同じであればある程度同じ立ち居振る舞いになってくるでしょう。しかしそれらが違うがゆえに行動が変わります。理由もわからないのに相手にマナーを求めてもきちんと真意が伝わるかもわかりませんし、お互いに面白くない状態で終わる可能性もあるでしょう。

お互いの文化や背景を尊重し、共感はせずともせめて理解をしあいゲーム、各タイトルの繁栄に向かっていければと思います。

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